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2009年05月11日

守口・門真の殿様って?

江戸時代の守口・門真を支配していたお殿様はどこのどんな人だったのか?
ということを中心に調べました。
スタジオ解説に探偵団「準レギュラー」、江戸時代の研究が専門「ちょんまげ大好き」という、門真市立歴史資料館の常松さんにお願いしました。

中庭団員は、門真市殿島町へ。
守口・門真で「殿」が付く唯一の町ということで何か関係があるかと思われましたが、特に何も無かったようです・・・。

一方、上林団員は佐太天神へ。
実は、この付近に殿様にまつわるものが複数あるというのです。

そして、守口・門真を治めていた殿様が、常松さんから明かされました。
守口・門真の殿様は代々「永井氏」(大槻団長は「永井さん」と呼んでいましたが)が支配していたのです。
永井氏は、関ヶ原の合戦より前から徳川の家臣だった家で、家康の命により、苗字を変えたというくらい徳川に忠誠を尽くした家だったのです。
江戸時代の最初にいたのは、淀城(現在の京都市伏見区・京阪電車の駅もあります)。
つまり、江戸時代の守口・門真は淀の領地だったのです。
譜代大名だった永井氏は、京都と大阪の間にあるこの地域の支配を任されたのでした。
その永井氏のうち淀藩の初代藩主だった永井尚政の業績を記した石碑が、佐太天神横の菅相寺にあります。
江戸時代は、この碑の整備に予算をかけていたということもあり、400年近く経た今も残っています。

その後永井氏は、淀から全国各地へ移り(今で言う定期人事異動のようなもの)、最後は岐阜に落ち着きますが、その間も守口・門真は永井氏の領地だったのです。

そんな殿様の生活はどうだったのでしょうか?
テレビでのイメージから「派手な生活」ということを想像される方も多いと思いますが、実際は領地の開発や財政を見たり、「参勤交代」で江戸と1年おきに行ったり来たりしたりと何かと忙しく、そんな贅沢な暮らしもできなかったそうです。

さて、全国各地に移った永井氏、お城が遠くにあると年貢とか大変。(今で言えば住民票を岐阜まで取りに行くようなもの)
そこで、佐太にはその「出張所」というべき陣屋がありました。
来迎寺の隣にその跡地があり、石垣が残っています。
この陣屋で働く人は現地採用で、農民も陣屋で働く時だけは武士になれたそうで、守口市金田町の墓地にも「佐太陣屋」という文字があったそうで、この仕事が他人に誇れる仕事だったことが分かります。

中庭団員は、門真市宮野町の堤根神社へ。
この神社は、佐太天神と同じく菅原道真を祀っていますが、そうしたのが、さっき出てきた永井尚政だったのです。

歴史はどちらかというと苦手という団メンバーでしたが、常松さんの分かりやすい解説で、地元の殿様に関心を持ってもらえたようです。
近々、この永井氏に関する歴史講座を開催する計画もあるそうなので、その時は聞かれてみてはいかがでしょうか?


posted by もりかど探偵団団員 at 15:40| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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