FM-HANAKO 82.4MHz 毎月第二・四・五週(金)午後3時35分〜4時50分(「プロムナード824」内)
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2017年08月11日

戦争体験を聞く

団長の大内康弘です。

毎年この時期にお送りしているテーマ
「戦争体験を語り継ごう」

今回お話頂いたのは
守口原爆被害者の会 沖野新太郎さん
大正15年長崎県対馬生まれの90歳。

自宅での収録に、快くお引き受け頂き
優しい声と表情で迎えてくださいました。

沖野さんは、16歳から就職で故郷を離れ
広島で過ごされていました。

数え20歳となる昭和20年、兵役検査を経て
爆心地から南西に約3kmにある
「陸軍兵器学校」へ配属、そこで生活していました。

昭和20年8月6日
午前8時に前夜からの週番を終えて、
部屋に戻ったときに原爆が投下されました。
建物が鉄筋コンクリートで丈夫だったのでしょう
兵器学校の皆さんには沖野さん含め怪我はなかったそうです。
しかし、15分前に警備を交代した守衛さんは亡くなられました。

終戦を厳島神社のラジオで聞いた沖野さんは、
「(故郷対馬も含め)日本の周りの島はアメリカに占領された」
というニュースがまことしやかに流れ、聞き信じたので、
終戦後三ヶ月後にそれが嘘だと分かるまで、故郷に帰ることが
出来なかったそうです。
このお話には戦後のリアルな混乱を感じました。

原爆の瞬間の窓からの景色
その後、何千と学校へ押し寄せたケガ人
平和への願い

沖野さんは話のほとんどをやさしい声でお話されましたが
これらのお話のときには、怒りや驚き、願いといった
力強さを声に感じました。

「広島に80年草木も生えないといわれたけれど、遅れて故郷に
帰ることになった昭和20年の11月、広島の木に新芽が芽吹いて
いたんです。」と最後に語ってくれた沖野さん。

その新芽が今に続いている希望なのだと私は思いました。
その芽を摘まぬよう、平和でいることを守らなければなりません。

今回、取材に応じていただいた、沖野新太郎さんに改めて御礼申し上げます。
posted by もりかど探偵団団員 at 19:35| 大阪 ☀| Comment(0) | 団長のひとこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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