FM-HANAKO 82.4MHz 毎月第二・四・五週(金)午後3時35分〜4時50分(「プロムナード824」内)
再放送(土)午後10時〜 ・(日)午後11時〜
守口門真の謎・疑問・情報を探求するもりかど探偵団。
もりかど探偵団の番組とリンクするブログ。
依頼・ネタ募集と共に、皆様からの情報もお待ちしています。

番組では皆さんから情報や依頼をお待ちしています。 情報や依頼はコメントからお寄せください。

2005年11月21日

守口門真歴史探訪シリーズ 東海道五十七次守口宿

十返舎一九の「東海道中膝栗毛」や安藤広重の浮世絵で知られている東海道「五十三次」。
しかし、東海道は「五十七次」だったのです。
その宿場が守口にありました。
そこで今回は東海道五十七次「守口宿」について調べました。

まず、林哲也団員が向かったのは三条大橋。
探偵団史上初の県(府)境越え。
今回は、ここをスタートして五十七次を放送時間内に移動します。
走ってでは1時間半では無理。
馬は違う場所(淀駅の近く)でたくさん走ってるけど無理。
ということで、京阪電車を使っての移動となりました。
今回の林哲也団員は時間との戦いです。

スタジオには守口門真歴史街道推進世話人会の高橋さんと和泉さんにお越しいただき、11月12日に行われた「東海道シンポジウム大阪守口宿大会」の模様をお話いただきました。
守口宿は江戸時代に宿駅制度ができた時に、江戸と大坂(江戸時代の大阪は「大坂」と表記)を結ぶ街道の宿場町となりました。
したがって守口宿は幕府が認めた宿場町だったのです。
毎年、東海道の宿場町でシンポジウムを行っていたのですが、今年は五十三次以外では初めて守口で開催されました。
これで東海道は「五十七次」として大きくアピールできると喜んでおられました。
当日はオープニングで寺方提灯踊りを披露したところ、他の宿場町の方にも興味を持ってもらえたそうです。
また、守口宿には「助郷(すけごう)」といって、宿場で荷物を運ぶための人足や馬がいる村が門真にもあったということで、守口・門真で守口宿を広めていきたいとのことでした。
(ちなみに守口宿は時代劇「水戸黄門」でもとりあげられました)
そんなこんなしているうちに林哲也団員の「五十七次弾丸ツアー」最初のリポート先、伏見宿の最寄駅の中書島駅に。
電車乗り継ぎのわずかな時間を使ってのリポートで次はどこへ行くのやら・・・。

大森団員は、守口宿跡を歩こうと、文禄堤にやってきました。
今回は、寝屋川市教育委員会で市史の編纂にも携わっておられる尾崎さんに解説をお願いしました。
文禄堤は豊臣秀吉の時代に大坂城への道として作られたものです。
堤沿いには昔ながらのたたずまいの家がいくつかありました。
それらの家は平屋または中2階の建物でした。
当時は大名行列を襲わないために2階建ての家を作るのが禁止されていたそうです。
また、家の壁は木でできた「うだつ」のものが多くありました。
「うだつが立つ」というのは、奉公してひとり立ちを許された商売人が「うだつ」が立つ家を作れるようになったという意味で、「うだつが上がらない」という言葉はここから来ていたのです。
また、文禄堤には昔の道標も残っています。

と、ここで林哲也団員の「五十七次弾丸ツアー」2回目のリポート。
今度は枚方宿の最寄駅、枚方市駅からのリポート。

時間の都合で伏見と枚方の間にある宿場町、淀宿は生放送ではパスしましたが、守口以外の宿場町の様子を事前に取材していました。
まずは五十四次目の「伏見宿」
京阪中書島駅から歩いて5分くらいのところにある「寺田屋」
幕末の「寺田屋騒動」や坂本龍馬が暗殺されたところで有名な場所ですが、伏見宿を象徴する建物で、現在も旅館として泊まることができます。
そこからしばらく行くと「京橋」という橋へ。
尾崎さんのお話では「京橋」というのは城下町に多くあるそうで、城から京都へ向かうところにある橋で、大阪の京橋や東京の京橋も言われてみれば城の近くにあります。
京橋には、当時京都と大阪を淀川を通って結んでいた「三十石船」が浮かんでいました。
続いて「伏見港跡」へ
ここが当時の伏見の船着き場で、京都付近の水運の要衝だったところです。
ちなみに当時の「京都」とは京の都(平安京)を指していて、このあたりは「京都」ではなかったとのことでした。
続いて電車で1駅の淀駅へ。
この付近は五十五次目の「淀宿」があったところです。
電車で1駅とはいえ、土居−滝井のような距離ではなく、およそ5キロあります。
しかし、宿場町の間隔としては短く、淀宿はあまり繁栄はしなかったようです。
続いて枚方公園駅へ。
この近くに枚方市立鍵屋資料館があり、当時の五十六次目枚方宿の宿場跡として残っています。
枚方宿は京街道の宿場町の中ではいちばん栄えていたと言われています。
京阪電車の枚方公園−枚方市の1駅間が宿場町だったところからも想像できます。
また、枚方宿には「くらわんか船」というのがあって、「酒食らわんか、餅食らわんか」と言いながら三十石船の客に売っていたものでした。

大森団員の守口宿探訪の続きは、八島町の交差点付近から。
このあたりが、守口宿の中心だったところで、当時は陣屋などがたくさんあったそうです。

と、ここで林哲也団員の「五十七次弾丸ツアー」3回目のリポート。
今度は乗っている電車が守口市駅を通過しようというところ。
京阪特急の電話室から一瞬のタイミングをついて電話。(決して車内から携帯電話は使っていません)
そして次に向かう先は・・・。

放送終了直前につないだところ、林団員は走っていました。
ゴールの高麗橋(京街道の起点)へ向かって。
北浜駅を降りて走ること数分、ついに林哲也はゴールに着きました。
1時間半で京街道を制覇しました。
ちなみに林哲也団員が事前に守口−大阪城を歩いてみたところ、4時間45分かかったそうです。
今は舗装されて、履物も負担の軽いものを使っている今でこの時間ですから、当時はもっと時間がかかったでしょう。
大名行列などは1日がかりだったのではないでしょうか?


posted by もりかど探偵団団員 at 00:00| 大阪 | Comment(1) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月31日

20年前の守口・門真の様子について

今から20年前の昭和60(1985)年、あなたは何を思い出しますか?
この年の主な出来事といえば
・阪神タイガース日本一
・日航ジャンボ機墜落事故
(今年が20回の守口市民まつりは昭和61年が第1回)
などがあった年です。

ちなみに、団員の20年前は
林賢志団長−中学生
大森団員−小学生(何年生かはとても言えない)
林哲也団員−幼稚園
林容子ヒラ団員−元気な女の子(なんとアバウトな)
日記作家−中学生
だったという20年前の守口・門真の様子について調べてみました。

まず、林哲也団員が向かったのは、カナディアンスクエア
ここでは、「トークティ守口20周年記念イベント」が行われていました。
FM−HANAKOがある守口文化センター周辺が再開発で今のようになったのは、20年前だったのです。
(それまでは、京阪電車の車庫でした)
トークティができる前の守口の様子を知っている人にとっては、このあたりは劇的に変わった所になるのでしょう。

一方、大森団員が向かったのはこちらも今年が開業20周年という京阪百貨店へ。
そこで、20年前に入社したという雲川さんと岡本さんにお話をうかがいました。
岡本さんは、守口に住んでいたことがあり、そこに新しい百貨店ができるのに興味を持ったということで、雲川さんは商売に関する仕事がしたかったという動機で京阪百貨店に入られたそうです。
オープン前のエピソードとしては、岡本さんのいたベビー服売り場で入荷をしたら商品が足りなかったという話や雲川さんは鮮魚売り場の研修で頭を刈ったという話を聞きました。
オープン当日は夕方までお客さんが途切れないほどの賑わいで、停電もあったということでした。
この20年の間のエピソードとして、岡本さんは「出産の内祝いを買いに来られた方が、年を追うごとに幼稚園の入園、小学校入学、中学校入学と成長に応じて来店されて、様子が分かるのがうれしい。」
雲川さんは昔は地下食品売り場にそば屋があってよく食べていたという話や、エビがブームの時に1トン入荷して完売したときに感動したというエピソードを披露して下さいました。
現在、雲川さんは食品事務所に勤務し「○○物産展」の企画やお店探しを担当、岡本さんは6階玩具売り場に勤務されています。

続いて林哲也団員が向かったのは、京阪古川橋駅前。
門真で20周年のものを見つけてきました。
それは「幸福ビル5号館」
古川橋駅前にそびえ立つ「仙亭ビル」と呼ばれているこのビルが完成したのが、昭和60年だったのです。
駅前で献血活動をしていた守口門真青年会議所の方に20年前の様子をお聞きしました。
当時からダイエー古川橋店はあったそうです。
あと、20年以上前は駅の周りは田んぼで、よく野球などをしていたということでした。
今の古川橋駅前からは想像もつきません・・・。

リスナーさんからは、昔の京阪バスのルートの話や、京阪百貨店がオープンする前にトラックの運転をしていたというお話をいただきました。
posted by もりかど探偵団団員 at 00:00| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。